廃墟と化した女川の町

女川原発の放射線監視システムは壊滅状態

日下さん(真ん中)に聞く
日下さん(真ん中)に聞く
石巻では「原子力発電を考える石巻市民の会」で長年脱原発の活動をしてこられた日下郁郎さんにお話を伺いました。また、女川の町を訪れ、被害の状況を見てきました。

日下さんのお宅は石巻市役所の近くですが、津波警報を聞き近くの高い丘「日和山」にご家族と避難されたそうです。市役所は津波の被害により現在は駅前のビルに移っていますが、日下さんのお宅は無事だったそうです。 
13日には唯一の通信手段であった携帯ラジオニュースで、女川原発敷地境界のモニタリングポストが通常の500倍(1時間あたり21マイクロシーベルト)の放射線量を測定したと知ったそうです。東北電力の発表では、女川原発は3基とも冷温静止状態であり、排気筒モニターの測定値も低いので、これは福島第1原発から放出された放射性物質の影響によるということでした。しかし、原発周辺の11ヶ所のモニタリングステーションの数値には触れませんでした。日下さんは、水に浸かった市役所の防災対策課に行き聞いたところ、前日に石巻地域消防本部から無線電話で福島第1原発から放出された放射性プリューム(気団)が女川原発方面に流れていると連絡が入ったが、それ以外は、原子力安全保安院との衛星電話も含めてあらゆる通信手段が使用不能で、東北電力からも国からも何の連絡もないということでした。

日下さんは14日には自転車で女川に入り、惨状を目の当たりにしたそうです。女川浜伊勢の宮城県原子力センターは津波で全部破壊されていました。ここは女川原発周辺の放射線量等の測定・監視を行なっている中心施設で、宮城県は、同センターと11ヶ所のモニタリングステーション、3ヶ所の放水口モニターをつないで、空気中と海水中のガンマ線をリアルタイムで測定・監視していました。また、隣には国の原子力検査官事務所兼原子力防災対策センターがあり、これも壊滅状態でした。県原子力センターでは4人が、国のセンターでは所長が行方不明だということです。
日下さんは、想定外の大津波とはいえ、これらの施設が海抜2メートル未満の場所にあったということは、自分も含めて国も県も、地震特に津波を軽く見ていたと言わざるを得ないとおっしゃっていました。

私たちも女川の状況を見てきました。津波で破壊された木造建築はすべて撤去され、鉄筋コンクリートの建物の廃墟だけが残っていました。中には横倒しになったものもあります。女川駅もプラットホームの痕跡だけで、線路はすでに撤去されていました。原発交付金で建設された人口1万人の町にしては立派な生涯教育センターも無残な姿でした。あちこちに瓦礫の山があり、海に近いところは地盤沈下により浸水していて魚が泳いでいました。唯一の避難場所と思われる海抜16メートルの高台の町立病院も、1階の2メートルくらいまで津波が来て犠牲者が出たということです。

女川原発でも2010年に行なわれた「プルサーマル全般に対する意見募集」で組織的に賛成意見を動員した「やらせ疑惑」が浮上しています。原発政策は、交付金と情報操作という民主主義と対極のやり方で進められています。