南三陸町を再訪しました

東日本大震災の半年後に訪問した南三陸町を再訪しました。津波で壊滅した地域の瓦礫は撤去され、公立志津川病院などコンクリートの建物の解体・撤去もほぼ終了していました。海に面したエリアには重機が入って土木工事が行なわれていました。防災センターの鉄骨は残されていて、手を合わす人が訪れていました。「南三陸さんさん商店街」というプレハブの小さな商店街があり、観光バスが1台止まっていました。「キラキラうに丼」が名物のようです。

中瀬行政区の皆さんの仮設住宅を再訪し、以前にもお話をしていただいた佐藤徳郎さんに近況を伺いました。佐藤さんは震災前にはほうれん草と菊のハウス栽培を行なっていましたが。昨年の8月からほうれん草栽培を再開しました。以前の半分の500坪です。再開にあたって土壌の検査を行なったところセシウムに汚染されていたため、表面から10cmは除去したそうです。原発事故の影響の甚大さを改めて思い知らされました。

高台移転については、3ヶ所の移転先が決まったということです。ただし中瀬地区の移転先である志津川高校の裏は岩盤が固く造成が困難なため、まだ調査等が必要だそうです。計画では平成27年度末に造成が完了、自分の家を再建するのにまだ4年以上かかるということです。さらに元の土地の買い取り価格と造成地の価格との差額、建築費用等、支援金だけで賄えるものではなく、仮設住宅の人々に重くのしかかっています。買い取った地域を再生農地にする計画があるそうですが、地盤沈下で海水に侵食されているため、かさ上げして土壌改良する必要があり、簡単にはいかないようです。

 中瀬地区の人たちは抽選でバラバラに仮設に入居することを拒否して、自分たちで民有地を確保して一緒の仮設に入り、地域コミュニティの結束を維持してきました。磯子市民ネットでは震災直後に募金活動を行ない、中瀬地区仮設の集会所の台所用品の購入などを支援しました。まだまだ多くの困難を乗り越えていかなければいけない状況の中で、自分たちのまちの復興に粘り強く取り組んでいくためには、地域コミュニティの自治力が大切であると再認識しました。