震災からもうすぐ5年、仮設住宅へボランティアに行ってきました

蕎麦打ち2南三陸町の被災者の方々が暮らす南方仮設住宅で、南三陸スマイルアゲインプロジェクト主催の春の交流会を行いました。今回は、山形県東根市の「直派草豊流豊葦原匠の会」の方々に来ていただき、被災者と一緒に日本一という草豊流の蕎麦打ちをしました。また仙台市から駆け付けたご夫婦が手品を披露してくださいました。震災からもうすぐ5年。交流会の前に、一軒ずつお誘いに伺いましたが、すでに半分以上が空き室になっていました。それでも時間前から次々と人々が集まり、100人近い人たちの参加で集会所は一杯でした。

日本一という草豊流の蕎麦は、腰が強く歯ごたえのある立派な蕎麦で、手作りのつゆも素晴らしく、被災者の方々が美味しいと言いながらにこにこと満足した様子で食べているのが印象的でした。自治会長さんの話では、こうしたイベントがないと多くの人たちが仮設住宅にこもりきりになってしまっているそうです。久しぶりに出てきた人に「今夜は眠れそうか」と聞くと、「うん」と答え、次の日「昨日は眠れたよ」と話すとのこと。南三陸スマイルアゲインプロジェクトが継続して交流会を開催していることに感謝しておられました。

皆さんが帰られた後に、お世話をしてくださった被災者の方々のお話を聞きました。自宅が流され、避難所から仮設住宅へ、その都度様々な困難を乗り越えてここまできたが、ようやく南三陸町に帰れる希望が見えてきたようです。しかし、人口が減少した町で、造成された高台で暮らしていくことに、仕事や買い物などに対する大きな不安を抱えていました。

高台の造成工事はなかなか進まず、この5年の間に他の市や町に移り住んだ人は多くいます。この仮設住宅からも100世帯程が出て行きましたが、南三陸町に帰ったのはほんの少しで、多くが登米市や仙台市に家を建てて出て行ったそうです。自治会長さんの話では、仮設住宅から出ていくときに挨拶に来たのは数人で、ほとんどの人達が知らないうちに出ていく、人に見られないように夜に出ていく人たちもいると言っていました。そこには苦しい時を一緒に耐え、乗り切ってきた仲間に対する後ろめたさがあるのかもしれません。大震災を経験した人たちの絆の強さ、故郷への思いを感じます。

蕎麦打ち1人口が減少した町をこれからどう復興させていくのか。国の復興予算による高台の造成、住宅建設、道路の復旧などハードの部分の復興が進んできました。これからは人々が生活する町を復興させなければなりません。私たちにできることは少ないけれど、元気な町をつくるのは元気な人達、「応援しているよ」の声をこれからも届け続けたいと思います。