南三陸町に行ってきました
南三陸町の「旧防災対策庁舎」は、周りがすっかり整備された広々とした美しい公園の中に、震災の遺構として赤い鉄骨の姿で佇んでいました。震災直後は高台に開設されていた仮設の「さんさん商店街」は、復興祈念公園に隣接した立派な商店街になっていて、平日にも関わらずかなり賑わっていました。ほとんどは観光などで町外から訪れた人のようでした。神奈川ネットと生活クラブ運動グループが横浜で毎年開催している「東日本大震災・復興まつり」で、地元産の海苔やあぶら麩などを提供していただいている「ちばのり店」のお店もありました。
震災直後に仮設住宅集会所の備品購入に、磯子市民ネットとして微力ながら協力させていただいた中瀬行政区のリーダーの佐藤さんにお会いしました。中瀬行政区では197戸のうち8戸を除いてすべてが津波で流されました。佐藤さんたちは地域コミュニティを維持するために行政区の住民が一緒に仮設住宅に入居したいと、自分たちでゴルフ場建設予定地を確保して、民有地に仮設住宅を建てることを実現しました。当初、民有地への建設は認められていませんでしたが、復興住宅建設には何年もかかり、町外の仮設に入居し、そこで新たな仕事に就いたら、特に若い人はもう戻って来なくなると、佐藤さんは主張しました。実際に震災前の町の人口は約18,000人でしたが、現在は約12,000人です。
佐藤さんは震災前はホウレン草と菊の栽培をしていましたが、現在は11棟のビニールハウスでホウレン草を栽培しています。奥様と息子さんの3人で大忙しだそうです。昨年の夏は猛暑の影響を受けて大変だったそうです。その対策として、これからはサツマイモの苗づくりにも取り組むそうです。新しいことを学びチャレンジする意欲に頭が下がります。
高台の復興住宅も見てきました。60戸の戸建てと60戸の集合住宅の真新しい街並みです。震災から13年が経過して亡くなる方もあり、現在は被災者でなくても災害公営住宅に入居できることになっているそうです。
町はきれいに整備されていますが、まだまだ空き地が多く見られます。南三陸町だけの問題ではありませんが、人口減少の状況で若い人たちが意欲を持って参加するまちづくりができるかが問われています。