先人に学ぶ磯子の独自性

磯子区の歴史的文化資源を保存・活用しよう!

三殿台遺跡
三殿台遺跡
人間には個性があり地域にはその町の独自性があります。人間が時間軸と空間軸に支えられ成長してきたように、磯子区も歴史と環境の両面から栄養を吸収しこの町ならではの文化を育ててきました。三殿台の「縄文磯子人」以来の文化資源の豊富さ・足跡の多様さは、百数十年の記憶しかないミナト周辺の比ではありません。
鎌倉時代・戦国時代には平子氏・吉良氏が独自の文化圏を展開してきましたが、江戸時代には天領も大名領もなく、すべてが旗本知行地という特異な地域でした。領主は江戸で年貢を受け取るだけですから、村々は堤磯右衛門のような開明的名主のもと実質的に農民たちの自治で運営されてきたのです。保土ヶ谷宿への伝馬・助郷の往来や江戸への年貢輸送の海上の道のパイプで新しい情報が次々に流入し、閉鎖的な武士社会とは違う近代への準備もできていました。明治期に横浜中心部の都市化に必要な迷惑施設の多くを引き受け、「縁の下の力持ち」に徹しながら少しも威張らなかったのがわが町なら、敗戦後の焼け跡の虚脱状態の中で横浜文化復興の先駆けとなったのもこの町の人々でした。僅かな期間でしたが、根岸には南洋諸島への飛行艇による定期航空路の基地もあり、「もう一つのミナトヨコハマ」「世界に開かれた町」の可能性さえありました。
過去を学ぶことはよりよき未来を創ること。私たちは磯子の各地に埋もれた先人たちの努力のあとを掘り起こし後世に伝えながら、未来につながる誇り高い地域の独自性をふくらませていきます。            磯子区郷土研究ネットワーク代表 葛城峻  
      
永島順子は提案します。
●磯子区の歴史的文化資源を保存・活用する
●戦争の歴史を次世代につなぎ、平和教育をすすめる