その② 南三陸町では盛り土工事が進むが・・・
有名になった防災対策庁舎の鉄骨の枠組みは、昨年10月に訪れたときのまま残っていましたが、その向かい側では盛り土工事が始まっていました。
磯子市民ネットで震災直後に支援した中瀬地区の仮設住宅を訪問し、リーダーのSさんにお話を伺いました。Sさんのほうれん草栽培は震災前の約7割まで回復しました。元々農業を専業でやっていた人は少なく、今盛り土工事をしている志津川高校前は農業地区になりますが、手を挙げる人はいないということです。
Sさんたちの移転先は志津川高校裏の高台ですが、元の土地の買い上げ価格より移転先の土地代の方が高くなり、家を建てることを諦め公営住宅を選択する人も多いそうです。南三陸町は平坦な場所はほとんど津波の被害に遭い、移転先は山を切り開いて造成することになり当然コストがかかります。Sさんたちは地域コミュニティを維持するために行政区の住民が一緒の仮説住宅に暮らしていますが、移転先でも30世帯で一括して土地を確保したいと考えています。実現できるかはまだまだこれからです。
復興仮設商店街「南三陸さんさん商店街」は、日曜日だったため観光バスが止まり賑わっていました。しかし、仮設の人たちは普段は移動販売車を利用し、休日には登米市の大型スーパーで買い物をし、さんさん商店街に行くことはあまりないとのことです。復興計画が進み商業ゾーンが整備されて、どれだけの商店が再開できるのか、まだまだ不確定な要素が多いと感じました。南三陸町の人口は、震災前の1万8000人から1万4000人に減少しています。踏みとどまるよう呼びかけている町の職員でさえ、登米市内に家を新築しているそうです。厳しい状況のなか、まちづくりはこれから始まります。